「自分の領域から出てみる」-さっこからのお便り#050

2026年9月26日_一粒万倍日_50

おはようございます、さっこです。

今日は
「自分の領域から出てみる」について

最近の私は
少しずつ自分の領域から出ています


「自分の領域」

自分が知っていること
自分ができること
自分が安心できる場所
自分を分かってくれる人たち

そこにいると
とても居心地がいい

自分のこともよく分かっている

だから
わざわざ外へ出なくても
いいような気がする

私は
これまで
そんなふうに
生きてきたところがある

自分で考えて
自分で試して
自分なりの答えを出す

それは
私にとって
とても自然なことでした

でも
最近少しずつ
それでは足りないな
と思うようになりました

自分の考えを人に伝えてみる
自分から人に話しかけてみる
自分とは違う考えを聞いてみる
苦手な場所へ行ってみる

そして

「私はこう思います」
を
外に出してみる


私は3月から半年間
今までの私なら考えられなかったような挑戦をしたことも
その1つでした


自分の考えていることを人前で話す
自分が何者なのかを言葉にする
そして
それを知らない人に見てもらう

怖かった
恥ずかしかった
うまく伝わらない

でも
外に出たからこそ見えたものがある

自分一人では気づけなかったこと
自分では当たり前だと思っていたこと
逆に自分では価値がないと思っていたこと

人の中に出てみると

それが
思いがけない形で返ってくる

そして
もう一つ大きかったこと

人と
「主体的に絡む」ということ

誰かから声をかけてもらうのを待つのではなく

自分から声をかける
自分から質問する
自分から「知りたい」と伝える

そうすると
人との関係が少しずつ変わっていく

そして
不思議なことに
自分の世界も広がっていく

自分の領域から出るということは
自分を捨てることではない

むしろ
自分を持ったまま
「外の世界とつながってみること」

そこで
初めて分かることがある

「あ、
私はこう思っていたんだ」

「あ、
私はこれを大切にしていたんだ」

「あ、
私はこれをやってみたかったんだ」

外に出ることで
自分の輪郭が逆にはっきりしてくる

そして
外へ出れば
思ったようにいかないこともある

傷つくこともある
恥ずかしいこともある
失敗することもある

でも
最近は
そんな出来事が起きたときも
少し考え方が変わってきた

出来事そのものは変えられない

でも
その出来事を
どう解釈するかは自分で選べる

「失敗した」と捉えるのか
「やってみたから分かった」と捉えるのか
「恥をかいた」と捉えるのか
「一歩外へ出た」と捉えるのか

同じ出来事でも

解釈が変われば

次の行動が変わる

だから

私はこれからも
少しずつ自分の領域から出てみようと思います

全部出なくてもいい
大きく飛び出さなくてもいい

ほんの少し
境界線の外に足を出してみる

そこで誰かと出会い
何かを感じ
また自分の中へ戻ってくる

そして
また少しだけ外へ出てみる

そんなことを繰り返しながら
自分の世界を
広げていけたらいいなと思います

あなたは今
どんな「自分の領域」の中にいますか?

そして
その外側に何があるでしょう

今日は少しだけ
いつもの場所から
外へ出てみる

そんな1日も
いいかもしれませんね

何か想うことがあればご連絡ください。
わたしからも、また、お便りします(゚∀゚)

さっこ

P.S.
今日でびっくりの50回目 ( ´θ`)ノ
感想やコメントあればお送りお送りくださ〜い♪♪♪

さっこ