2026年9月1日_一粒万倍日_49
おはようございます、さっこです。
今日も
「余白」について
今日から9月
気づけば8月は
一粒万倍日のお便りを出しませんでした
忙しかった?
思い出したときはなかった?
やれた時間はあったよね?
自問自答しました
ありました
もちろん!時間はありました
でも
書かなかった
書けなかった
ではなく
書かなかった
なぜかなぁと考えていたら
ふと思いました
「お便りってゆっくり綴りたい」
私にとって一粒万倍日のお便りは
「出さなきゃいけないもの」ではなく
その時の自分から
誰かにそっと手渡したいもの
だから急いで言葉にしたくない
そんな自分がいました
そういえば
去年の8月にも
「余白」について書いていました
その時の私は
「余白の額縁を拡げよう」
「余白から余裕が生まれる」
と綴っていました
あれから一年
今の私は
また「余白」について考えています 笑
同じ言葉なのに
一年経つと
少し違って見える
ゆっくり人と会う。
ゆっくり本を読む。
ゆっくり話す。
ゆっくりご飯を食べる。
そういうことって
時間があればできるというものでもありません
時間があっても
心に余裕がなければ
ゆっくりできない
そこで
「余裕」と「余白」は
少し違うのかもしれない、と
余裕は
「まだできる」ということ
時間に余裕がある
気持ちに余裕がある
自分の中にまだ残っているもの
一方で
余白は
あえて空けておくもの
何かをするためではなく
何もしないための場所 空間
だから
余裕があるから
余白ができる
とは限らない
むしろ
余白をつくることで
余裕が生まれることもある
そして今の私はもう一つ思います
『余白は、埋めなくてもいい』
8月
私はお便りを書かなかった
でも
何もしていなかったわけではありません
人と会い
仕事をして
身体を動かし
畑へ行き
いろんなことを感じていました
ただ
それを言葉にするまで
少し時間が必要だった
野菜も果物も
早く採ればいいわけじゃない
待つことで
甘くなるものがあります
言葉もきっと同じ
だから
8月にお便りを書かなかった時間も
私にとっては
必要な「余白」だったのかもしれません
一粒万倍日だからといって
毎回 種を蒔かなければならない
わけでもない
種と種の間には土がある
何もないように見えるその土の中で
次のものが静かに育っている
それを私は知っている!
そう考えると
余白って
「余ったもの」ではなく
『次の何かが育つために最初から必要なもの』
みなさんにもありませんか?
ゆっくり会いたい人。
ゆっくり読みたい本。
ゆっくり考えたいこと。
ゆっくり行きたい場所。
もしあるなら
今日はひとつだけ「急がない」を
意図してみてください
人はやることがいっぱいある時こそ
「今日も何もしていない…」と思ってしまう
矛盾多き生き物 笑
何か想うことがあればご連絡ください。
わたしからも、また、お便りします(゚∀゚)
さっこ