2026年7月19日_一粒万倍日_48
おはようございます、さっこです。
今日は「値段」について
「値段」という言葉を眺めていたらふと思いました
「値」
「段」
値段とは何でしょう
価値の段階?
価値へ向かう階段?
それとも
人と人とをつなぐ1つの段?
私は
セッションでも
畑でも
いつも悩むことがあります
それは値段をつけることです
セッションには形がない
畑には野菜という形がある
でも
どちらにも共通していることがあります
それは
値段をつけているのは「物」ではなく
その向こう側に流れている時間や想い
人とのつながりなのではないか
セッションは
⚫︎⚫︎分だから「いくら」の価値があると
考えてはいません
たった一つの言葉が
その人の心に残り
1年後に芽を出すこともあります
逆に
「何も変わらなかった」と思っていた時間が
後になって「あの日があったから」と言われることもあります
価値は時間では測れない
だから
値段とも少し違う気がする
畑も同じ
自然が育て
太陽が照らし
雨が降り
土の中では見えない命たちが働いてくれる
私たちはその営みに少しだけ手を添えているだけ
だから今でも
お野菜に値段をつけるたびに
少し立ち止まります
本当は
「どうぞ〜」
そんなふうに
全ておすそ分けできたら幸せなのかもしれません
でも私たちは貨幣経済の中を生きています
だからお金も必要です
だから私は値段をつけます
ただそれは「売って終わり」の数字ではない
私にとって値段とは
信頼を循環させるための数字
いただいたお金は
また次のセッションへ
また次の学びへ
また畑へ
また仲間の手仕事へ
また誰かの暮らしへ
そうやって巡っている
そして最近思うこと
お金の価値そのものが
少しずつ変わってきている昨今
経験や知識が増えれば
セッションの値段が上がる
自然な農の暦が長くなれば
お野菜の値段が上がる
そんな貨幣経済の価値観そのものが変化していく
のではないか???
循環が育てば育つほど
値段も変わっていく
支え合う人が増えれば
1人が支える量は少なくなる
だから未来には
今よりも安く届けられるものが増えるかもしれない
それは価値が下がったからではなく
循環が豊かになったから
そんな未来だったらいいな〜と思います
昨日は
少し心がもやもやする日でした
そんな時
「畑へ行こう」
そう声をかけてくれる人がいました
土の香りを吸い込み
風を感じ
ただ畑を歩く
「あぁぁぁぁ幸せだな」
そう思える私がいました
その時間に値札はついていません
でも確かに価値はある
人生には
お金で支払う値段と
心が受け取る値段がある
私はそのどちらも大切にしながら
命を味わいたいと
そっと優しく感じました
みなさんもどこかで「値段」をみたら
自分の価値を測ってみてください
何か想うことがあればご連絡ください
わたしからも、また、お便りします(゚∀゚)
さっこ