20250523_一粒万倍日
おはようございます、さっこです。
毎週会ってる方も
お久しぶりな方も
いつも有難うございます。
本日は
『生活と暮らし』について
茨城に移住して
早いもので4年半が経とうとしています
ここ1週間は東京におり
一昨日の朝を東京で迎えた私
30分かけて駅に歩くその道なかの話
信号が変わり
「よーいどん」
一斉に進んでいくみなさん
とても早い足取りで
追い越せ追い抜け
何をあんなに急いでいるか
私も昔ははそうだったろうなぁ
その時には気づいていなかったなぁ
とかとか
一瞬にして受信機が巡る
時間への感覚
人への感覚
東京への感覚
全てが変わったのだと思う
時は 必死 に進み
時には ゆるゆる と進み
時は 留まったフリ をしてみたり
東京という場はすごいっ!
刺激が多く
刺激によって成り立っているのかと
思わせてくれるくらいな場所
私は東京生まれ
東京育ち
多分江戸っ子
選んでここに生まれたかというと
はい、と
即答はできないけど
嫌いな場所ではないけど
受信機を入れると
居心地がいいと感じる場所でもない
そこからふと
“ 生活 ”と” 暮らし ”という言葉が降りてきて
思考と探究を開始
似ているけど
言葉の奥の方が
ちょっと違う気がする
「生活」は
日々の営みそのもの
息をして
食べて
寝て
出すものを出す
+
収入や支出
時間割やタスク
そういう“生きるための活動”
どちらかというと機能的で
外からも見えやすい部分が多い
一方
「暮らし」は
もう少し内側の
目には見えないけど
しっとりしたものを含んでいるように思す
季節の変化に目を向けたり
朝のコーヒーの香りににやぁ〜となったり
雨だから畑はお休みとかとか
…なんていうか…感覚の営みというか
生活のなかに
自分の リズム や 意識 を溶け込ませたもの
その人の体温や心の葛藤まで含んだ
生き方の 質感 を感じる
いつものように
どっちが良いとか悪いではなく
今の自分のステージにおいて
どこかにいるか
誰といるか
どうしているか
“ 生活 ”と” 暮らし ”のバランスを
“ 意識する ”ことができていればOK
20代の私
生活90:暮らし10
30歳の私
生活80:暮らし20
38歳の私
生活70:暮らし30
40歳の私
生活40:暮らし60
42歳の私
生活50:暮らし50
50:50 の今は今で心地がいい
でも
海と川に隔てがないように
優しいグラデーションで
この「:」という明確な隔てが
いつの日かなくなり
行き来できる私に
成れているのが
『私にとっての1番の心地よさ』と
知っている私
まだまだ道半ば
まずは
みなさんも
自分の中の心地よさのバランスを探ってみてください
それでは今日はこの辺でー
何か想うことがあればご連絡ください
わたしからも、また、お便りします(*゚∀゚*)
さっこ
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※こちらのメールはおくずみさきこの独断と偏見で送りしています
今まで出会い、ご縁が繋がっている方の、日常のエッセンスになれば幸いと思います