20250329_一粒万倍日
こんにちは、さっこです。
毎週会ってる方も
お久しぶりな方も
いつも有難うございます。
本日は『我思う、ゆえに我あり』について
思考とは
みんなが持っている共通のツール
見えない存在だけど
体の一部とも言える
雨音が続く今日
思考はいつもより静かに巡る
窓に落ちる雨粒が
前と同じ道をつたって流れていくように
私の思考も
知らず知らずのうちに同じルートをたどっている
と
外を見ながら感じた
脳は「効率化」を求める
脳の役割は
生存のためにエネルギーを最適化すること
基本
省エネを目指している
何かを判断するとき
過去の経験や学習したパターンをもとに
「これが正しい」
「これは危険」
と
即座に決定しようとする
たとえば
初めて自転車に乗ったときは
意識してバランスを取るけど
一度乗れるようになれば
もう「考える」ことはしなくなる
無意識のうちにペダルをこぎ
体が自然に反応する
これと同じように
私たちの思考も
「無意識の自動運転」に
切り替わるのではないか
繰り返し
繰り返し
考えたことは
あたかも
“事実”のように
思えてしまう
「私はこういう性格だから」
「こういうときはこうするべきだ」
「きっとあの人はこう思っている」
これらは
私たちが本当に選び取った考えなのか?
それとも
単に過去の記憶から
脳が効率的に引っ張ってきた答えなのか?
これはこれで考えても堂々巡り…
仮に
思考は「真実」ではなく
「解釈」と捉えるとどうだろう
同じ出来事が起こっても
人によって受け取り方が違う
ある人は「挑戦」と捉え
ある人は「リスク」と感じる
この違いを生むのが
解釈=フィルター
フィルターの色が変われば
見える世界も変わる
フィルターの色を変えれば
見える世界は変わる
「我思う、ゆえに我あり」 By ルネ・デカルト
世の中のすべてのものの存在を疑ったとしても
それを疑っている自分自身の存在だけは疑うことができない
私たちは
自分の思考によって
「世界」をつくっているだけ
思考がぐるぐるしたら
事象は違えど
同じ結果が続くようであれば
それを書き出してみる
そして
こう問いかけてみる
「本当にそうだろうか?」
「もし違うとしたら?」
「別の解釈はないだろうか?」
その問いかけが
新しい視点への扉を開く
自分で自分のフィルターを
変えていこう
思考は
変えられる
そして
それが行動を変え
未来を変えていく
私たちは雨粒のように
同じ道を流れ続けることもできる
でも
ときどき風が吹けば
違う方向へも流れていける
今日の雨は
そんな気づきをくれる
新月前の優しい雨
「我思う、ゆえに我あり」
皆さんはどう捉えますか?
何か想うことがあればご連絡ください
わたしからも、また、ご連絡します(*゚∀゚*)
さっこ
※こちらのメールはおくずみさきこの独断と偏見で送りしています
今まで出会い、ご縁が繋がっている方の、日常のエッセンスになれば幸いと思います