祖父母が営んだ乾物屋の『常陸屋』

東京都中野区野方 文化マーケットというところで約50年ほど営んでいた。祖父が「常陸国」の出身だったようで、その名前としたよう。こりゃもぅ私が水戸市に身を置くのも自然な流れだったのかと、母からの連絡で知ることとなったが、本当に不思議な縁とタイミングで、この水戸に移住をしたものだと、自分に関心した。私が「商い」に携わりたいと感じるのもやはりDNAなのかなぁとも感じた。

私も幼い頃、常陸屋には度々訪れた。

夏休み、お正月、お盆などなど、母の実家ともありことあるごとに行っていた感じ。今から考えれば「西荻窪→中野」なんて、オレンジの電車でも黄色い電車でも行けて(土日祝は要注意)とても近い距離なのに、私には大冒険だった。お店に着くと必ずおじいちゃんがカルピスウォーターをくれたのをよーく覚えている。

暑い日には最高だった( ✌︎’ω’)✌︎

お店の売れ筋はなんと言っても、薪で炊いた大正豆のあま〜い煮物。父が工務店を営んでいたこともあり、薪を大工さんがよく運んでくれて、おじいちゃんが火を起こし、おばあちゃんがお豆を炊いていた。いつも飛ぶように売れていた。そして、おばあちゃんがお店の狭ーい奥の方で焼いていた厚焼き卵。フワッとあまーい、出来立ての卵を一口もらうのが本当に大好きだった。

私が小学生の頃、おばあちゃんからその厚焼き卵の作り方を教えてもらった。鉄の四角い卵焼き機をしっかり熱し、油をしく。今ではこれでもかと思うくらいの上白糖を加えた卵液を鍋に流し入れ、くるくるとひっくり返す。それを幾度となく、薄ーく薄ーく繰り返していく。これが、瞑想のようで、思考がこれに集中し、本当に楽しくてたまらない感覚だった。

そして、出来上がった卵をみんなが美味しそうに食べてくれたのを今でも覚えている。

お店には、天井から「測り」がぶら下がっており「必要な人が必要な分だけ」の買い物がされていた。

私が実現したい風景はすでに祖父母が行なっていたとなると、これまた面白いもの。

量り売りは革新ではなく、ただのリバイバル。

旧き良き心地よさを私はまた作り上げていきたいのだと、母からの連絡で知ることとなった。

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